YUMEKO-Happy diary

ゆめこ日記へようこそ♬ 記憶や妄想や空想が暴走。時には現実、時には夢、勝手な思いつきで、日々、自由に綴っていくつもり。

道徳の時間

小学生の時、「道徳」の授業があった。
大抵、つまらない話なので、ゆめこはいつもあまり期待しないけれど、
ある日、小学3年生の担任の工藤先生が、
先生が幼かった頃の戦争体験を話してくれた。
このお話だけは、とても衝撃的だったし、
ゆめこは今でもとても良く覚えている。
 
工藤先生は、樺太出身。
豊原という町で生まれ育ったそうだ。
戦火の中逃げ惑った 旧ソ連侵攻の南樺太 祖母の71年ぶり慰霊の旅に同行 ...
 
先生が幼い頃、戦争で日本が負けたので、
そのまま樺太にいたら、ロシア軍に捕まって捕虜にされるので、
家も畑も車も何もかも、とにかく全財産をおいて、
みんなで命からがら必死で船に乗って北海道まで逃げて来たそうだ。
樺太の戦い (1905年) - Wikipedia
 
船には、もうこれ以上乗れないという位のたくさんの人が乗って、
工藤先生は親ともはぐれたし、もう乗る場所がなかったので、
船の外側の側面に必死にしがみついて、
北海道まで逃げて来たそうだ。
海面には、お札や立派な皮革製のスーツケース、
高そうな着物がプカプカ浮いていて、
身一つで逃げるとは、まさに、こういうことだと思ったそうだ。
 
結局、工藤先生は船が北海道に到着するまで
しがみついていたから助かったけれど、
海に落ちた人や、樺太に残ってロシア軍に捕まった人も
戦って命を落とした人もたくさんいたそうだ。
 
ゆめこは、捕虜とは何かを先生に聞いた。
ロシア軍に捕まって、
ロシア軍の為に奴隷の様に辛い苦しいお仕事を強制的にさせられたり、
樺太は冬はとても寒いのに暖房がなかったり、
中には殺された人もいるそうだ。
 
ゆめこは、泣いた。
 
工藤先生は、ご先祖様のお墓参りに毎年行けないと言った。
樺太は、現在、日本の領土ではなく、
ロシアの領土になってしまったから、
樺太に行くためには、
工藤先生はパスポートとかピザとか何とかが必要になるそうだ。
「なんで自分のふるさとに、ご先祖様のお墓参りに行くのに
ロシアの許可を得なければならないのか!」
工藤先生は、とても厳しい口調で言った。
ゆめこは、工藤先生のこんな怖い顔を見たことがなかったから、
少し怖かったけれど、
工藤先生は、今尚、とてもとても悔しいのだと思った。
 
ロシア軍は、実は北海道も占拠しようとしていたらしい。
もうしそうなっていたら、ゆめこのお家は、
ここ北海道にはなかったのだ。
 
ゆめこは、生き物の中で、人間が一番残酷だと思った。